クラウドは理想や夢ではなくなった

 2010年になり、クラウドコンピューティングは実用の段階に入りました。もはや「クラウドを利用するか否か」ではなく、「どのように利用するのか」を考えるべきタイミングに来ています。

 雲のようなサーバーにさまざまなデバイスから接続する、新しいコンピューターの利用形態としてのクラウドコンピューティングは、それを意識しているか否かにかかわらず、すでに多くの人が経験しているはずです。本書で紹介したGmailやTwitter、Windows Liveをはじめ、近年に登場したサービスやソフトウェアの多くは、多様なデバイスに対応していると同時に、インターネットを経由した情報共有・同期などを実現しています。

 一方、企業におけるITシステムの運用法としてのクラウドコンピューティングも、環境は着々と整いつつあります。

 2009年に世間を騒がせた定額給付金のシステム構築では、セールスフォース・ドットコムが柔軟性の高いサービスによる突発的な案件への圧倒的な強さを見せ、また自治体という公共性の高い組織への導入事例を作ったことで信頼感も得ました。

 今後はマイクロソフトのWindows Azureの導入が進んだり、NTTなどの国内企業によるサービスが次々に立ち上がったりすることで、日本の経営者やITシステム担当者にとってなじみのあるサービスが選べるようになることも、クラウドの導入を促進するきっかけとなるでしょう。

変容するコンピューターの利用スタイル

 個人レベルでのコンピューターの利用スタイルは、今後数年の間で大きく変わっていくはずです。それはパソコンだけではなく、iPhoneやAndroidなどを搭載したスマートフォン、さらにその他のデバイスまでをも含めた変化です。

 現時点ではまだ、パソコンと一般的な携帯電話の組み合わせを日常的に利用している人が多いでしょう。そして、パソコンと携帯電話で利用するメールアカウントは別々、利用するサービスも別々、というスタイルが多いと思います。

 しかし、携帯電話よりもパソコンの利用頻度のほうが高い人なら、携帯電話でもパソコンと同じメールアカウントを利用し、同じサービスで同じ情報を扱えたほうが、いろいろな面で有用です。また、携帯電話を忘れたり電池切れになったりしたら連絡が取れなくなるメールよりも、どのようなデバイスからでも利用できるメールのほうが安心して使えます。

 日本の携帯電話は非常に多機能で使いやすい優れたデバイスですが、パソコンやインターネットとの連携が弱いのが難点です。それよりもパソコンとスマートフォンを組み合わせて、両方で同じサービス、同じ情報を扱えるようにしたほうがよいと考える人の割合は、確実に増えていくでしょう。

 また、そうしたサービスをさらに多くの場面で使いたい、例えば家族と情報共有をしたいときには、パソコンやスマートフォンに不慣れな人でも簡単に扱えるタブレット型デバイス、テレビに接続して利用できるデバイスが便利になっていきます。

●メールを例にしたクラウド導入後の変化

クラウドのサービスに排他的な選択は不要

 従来、パソコンやサーバーの導入にあたっては「WindowsパソコンがあればMacはいらない」「Windows Serverでサーバーを構築したらLinuxは不要」というように、排他的な選択をする必要がありました。多くの場合、全体を1つのシステムで統一することがもっとも管理しやすく、安上がりであったためです。

 しかしクラウドの利用においては、それとは反対の発想が必要になります。各社のサービスを組み合わせて、コスト、パフォーマンス、構築スピードなど、あらゆる面で効率のよい組み合わせを目指すことが重要になるのです。

 例えば、「社内のWindows Server上で運用していた業務ツールはWindows Azureに移行し、顧客データベースは引き続き社内サーバーで管理して高い安全性を確保する」、あるいは「自社サイトのダウンロードサービスはAmazon Web Services上で運用し、顧客サポートはセールスフォース・ドットコムのSaaSを新規に導入する」といった具合です。クラウドコンピューティングでは各社のサービスの費用や機能、サービスレベルを比較検討し、組み合わせて利用することが可能になります。

 このとき、Webを通じたサービス間のデータのやりとりも、比較的容易に行えます。セールスフォース・ドットコムがGoogleやTwitterと連携しているように、サービス間の連携は今後もますます進んでいくでしょう。

 本書の執筆にあたって各社を取材した際、どの企業からも「必ずしもわが社のサービスだけでシステム全体を構築してもらおうとは思っていない」「他社のサービスのよいところは組み合わせて利用してほしい」という声を聞いています。「全方位戦略」をうたうマイクロソフトでさえ、そのように話していたのが大変印象的でした。

デバイスの選択は今後もシビアな問題

 一方で、「どのデバイスを利用するか」という選択は、今後においても悩ましいテーマです。

 WindowsパソコンかMacか、というパソコンの選択だけならまだしも、最近ではiPhone かAndroidか、はたまBlackBerryか、といったように、モバイルデバイスの選択肢も豊富です。特にスマートフォンは、通信キャリアによる「2年縛り」があるのが一般的なだけに、より難しい選択となります。

 クラウドコンピューティングの本質は、デバイスに依存せず、どのようなデバイスでも同じデータを扱えることにあります。そういう意味では、どのデバイスを選んでも「だいたい同じことができる」のは確かです。しかし、どれだけ快適にできるか、素早く効率よくできるかは、やはりデバイスに依存します。

 サービスの利用が中心となるクラウドのデバイスにおいては、「持っているソフトウェアや周辺機器を流用できる」「家族や友達も使っている」といったことに加え、サービスへの接続性(無線LANなどの通信機能の充実)や、操作の快適さ(起動の速さ、画面の見やすさ、インターフェースの気持ちよさ)を重視して選ぶことがポイントとなるでしょう。

●各社のサービスを組み合わせて利用する例

「100%安定したサービス」は望んでも得られない

 企業向けのSaaSやPaaS、IaaSでは、自社でITシステムを構築・運用する場合に比べ、導入スピードの向上、コストの削減といった効果が期待できます。ただし、レッスン26でも述べたように、サービスの安定性・安全性については不安な要素もあります。

 安定性を重視して「一瞬たりともダウンしないサービス」を求めても、それを見つけるのは現実的には不可能です。アップタイム保障の数字が、ビジネスの安定を保障してくれるとは限りません。また、パスワードの盗難によって米Twitterの社内文書がGoogleドキュメントから流出するなど、安全性におけるトラブルも時折報道されます。

 サーバーダウンや情報漏えいなどのリスクは、当然ながら自社内で運用するシステムであってもゼロにはできません。しかし、自社でのミスと他社に任せた結果のミスでは、事情が大きく異なるのも事実です。

 ならば、どうするか? 信頼のおける事業者を選ぶことです。トラブルが起きてしまったら速やかに情報を公開して適切に対処する事業者、変に隠し事をしたりごまかそうとしたりしない事業者であれば、トラブルが発生した場合でも正確な情報に基づいて、最善の対策を取ることが可能になります。

日本発クラウドサービスは2010年に本格スタート

 本コンテンツで紹介したクラウドのサービスは、いずれも本拠地を海外に置く企業のものでした。日本発のクラウドサービスは、2010年に主要な企業のサービスが出そろう見込みです。

 NEC、ソニー、日立、富士通といった国内の大手IT企業は、それぞれが従来のシステム構築事業の延長に近い形で、クラウドのサービスを提供しています。また、KDDIは「KDDI クラウドサーバーサービス」というSaaS、PaaS、IaaSを2009年6月から開始しました。ソフトバンクテレコムはIaaS(同社はHaaSと表現しています)に当たる「ホワイトクラウド」を、2010年2月にリリースします。

 国内最大の通信事業者であるNTTグループは、NTTデータより「BizCloud」というサービスを2010年4月から開始すると発表しています。SaaS、PaaS、IaaSの各層、プライベートクラウドとパブリッククラウド(同社は「コミュニティクラウド」と呼んでいます)の両面にわたるサービスをそろえており、コンサルティングからシステム構築、運用管理までを請け負います。

 Webサービスの国内最大手であるヤフージャパンは、2009年12月に「Yahoo! Cloud構想」を発表しました。Yahoo! JAPANのサービスと連携したサービスを開発できるPaaSを提供し、「Yahoo! JAPAN ID」や「Yahoo!ウォレット」の決済システムなどを利用したサービスを開発できるようになる見込みです。 

[ヒント]「Web2.0」とクラウドコンピューティング

2005年ごろ、「Web2.0」というキーワードが流行しました。定義があいまいで難解なこと、Webサービスが中心であることなど、クラウドコンピューティングとの共通点は少なくありません。しかし、Web2.0は当時の成功事例の分析から出た言葉であるのに対し、クラウドはだれもが恩恵を受けられる具体的なサービスを指して使われることが多く、取り入れやすいのが特徴と言えます。

[ヒント]クラウドと実世界を結ぶ「拡張現実」

「拡張現実」(Augmented Reality。略して「AR」とも呼ばれます)とは、実世界にあるものにコンピューターによって付加情報を与えることを指す言葉です。例えば、カメラを通してある建物を見たら、建物にあるお店の名前や「ここはおいしいよ!」といったクチコミ情報が表示される、といった体験を実現します。日本発のARとしてはiPhoneの「セカイカメラ」が注目を集めており、クラウドと組み合わせた新しいサービスとして今後が期待されています。

iPhoneのカメラを 使って映し出した映像に付加情報を表示し、その場所にある建物の名前やほかのユーザーのコメントなどを見られる

[ヒント]情報の関係も変化していく

2010年に入り、私たちと情報との関係にも大きな変化が起きています。「デジタイズ技術の進化による情報の質の変化」と「リアルタイム性の高まりによる時間軸の変化」、そして「発達したモバイルデバイスやAR技術による現実とデジタルとの境目の変化」の3つが主なものです。これらが組み合わさり、世界中からクラウドに集まるリアルタイムの情報が、実世界とオーバーレイするイメージが実現される日も近いでしょう。事件の第一報が写真や動画で一般ユーザーから発信されることが、現在すでに体験できるその一例です。

[ヒント]ソフトウェア単位からユーザー単位の課金へ

Webサービスの課金方式は、ユーザー1人あたりの月額課金が主流です。もしMicrosoft Officeがこの課金方式を採用しようとするなら、従来のソフトウェア販売のビジネスモデルを大転換し、課金システム(少額を簡単に支払える、心理的ハードルの低いものが望ましい)を整備するという高い壁を越えなければなりません。Googleは現在「Google Checkout」という課金システムを持っていますが、日本ではまだほとんど使われていません。クラウドのビジネスを成功させるには、「Yahoo!ウォレット」やアップルの「Apple ID」のような、すでに多くのユーザーが慣れ親しんでいる課金システムを持っていることが、かなりの強みになるでしょう。