「できない」の真っ只中に
「新しい文章力の教室」というライティング指南書で「できる」シリーズの末席をひっそりと汚しております、唐木元と申します。本が出てはや3年半、著者の私はというと、執筆当時とはまったく異なる境遇におりまして、「できる」「できない」で言えば「できない」の真っただ中で揉みくちゃにされております。
「新しい文章力の教室」は当時勤めていた会社を辞めるにあたって、いまどきでいう退職エントリみたいな気持ちで書いた本でした。退職エントリといえば辞める理由が衆目を集めるところですが、私の場合、40歳になったある日、「おらミュージシャンになる......それもアメリカで......」などと支離滅裂な思考・発言を口走り始めたわけです。取締役会で。
英会話と楽器演奏という、ふたつの巨大な「できない」を携えて、いきおいだけでボストンの音大に入学したのが3年前。盛大にあいだを端折りますが、大学を卒業したのちブルックリンに居を移し、いま自分がどんな状態にあるかというと、そうですなー、英語も楽器も「できる」の兆しが、ようやく見えてきた......のかも......、くらいのところです。夜明けでいえば天文薄明くらいの感じ。
暗記だけしててもモゴモゴ
そんな兆しレベルで語るのもおこがましいんですが、修得のプロセスにおいて、気付いたことがあります。それは英会話と楽器演奏って、「できる」に至る道筋が似てるんじゃないかということ。
アメリカに移ってからしばらく、英会話は日本から持ってきたフレーズ集をやっていたんですけど、これが一向にしゃべれるようにならないんですよ。たとえば「This soup tastes good.(このスープおいしいです)」というフレーズを覚えてみたところで、スープがロブスターに変わった途端、モゴモゴッとなってしまうのです。
5秒考えれば「These lobsters taste good.」だとわかる。でも会話ではモゴッとなる。もしくは疑問形なら? 「Does this soup taste good?」これもまた悲しいほど出てきません。なぜか。フレーズの背景にある文法、この場合でいえば代名詞の単数/複数と動詞の三単現ルールが、すぐ取り出せる状態になっていないからです。中1レベルの文法でこのザマですよ。
つまりしゃべることが「できる」状態に持っていくには、フレーズのストックに加えて文法の叩き込みが必要で、どちらかが欠けた状態では成果が出ない。こんなの誰だってわかりそうなことなんですが、そこはボンクラのなせるわざ、気が付くまでに年単位の時間がかかりました。
「いま君に必要なのはリックだね」
どこでそれに気づいたのかというと、実は楽器演奏のほうで発見があったんです。こんにちのポピュラー音楽にはおおよそ文法みたいなものがありまして、アベイラブルノートスケールと呼ばれる理論なんですが、私この科目では優等生だったんです。ところがこればかりやっていても、一向に楽器が「できる」状態にはならない。スケールやアルペジオを叩き込んだだけでは、音楽は出てこないんです。
そのタイミングで音大の先生に言われたのが「いま君に必要なのはリックだね」。英会話でいうフレーズにあたるものを音楽の世界ではリックと言いまして、「Hi, how is it going?」みたいな感じで「♪ミファミレドシレファ♭ラソ?」ってひと続きを憶えてしまうやり方です。なぜか私はこれを敬遠していたのですが、リックをインストールし始めたらポロポロと、カタコト程度だけど弾ける実感が宿り始めたのです。
ニューヨークのライブハウスで演奏中の唐木さん(左から5人目。ベースギターを演奏)。
私とは反対にリック一辺倒という友達もいて、これはさっきのロブスターと一緒で、曲が違ったりキーが変わると途端に出てこなくなってしまうタイプです。さっきのフレーズならオルタードテンションでナインスがフラット、みたいな文法が血肉化していないと、使い回しが利かない。そのあたりに気づき始めてようやく、あれ、ひょっとしてこれ英会話と似てるんじゃない、と思うに至ったわけです。
すなわちフレーズ暗記と理論の肉体化、この両輪を片手落ちにならず回し続けていると、どこかでその両輪が統合されるような地点があって、それが「できる」ってことなのかな、と。英語も楽器もまだまだその境地には程遠いのですが、微かながらその兆しを確かに握りしめて、日々ニューヨークのライブハウスを駆けずり回っています。
唐木 元(からきげん)
ミュージシャン、ベース奏者。2015年まで株式会社ナターシャで取締役を務めたのち渡米。バークリー音楽大学を卒業後、ブルックリンに拠点を移して「ROOTSY」名義で活動中。
Twitter : @rootsy