名刺の整理から始まったライターの副業

1998年、僕はマイクロソフトでインターネットの仕事をしていた。その関係で、インプレスの人と知り合うきっかけがあった。

最初は取材や執筆といった明確な目的はなく、黎明期のネット業界ですれ違った者同士が「とりあえず名刺交換をした」という程度だった。しばらくして名刺を整理していたとき、失礼ながら「ええと......誰だっけ?」と、その人の名刺を見ながら首をかしげたのを覚えている。

ある日、僕はその「誰だっけ」の人にメールをした。

"近々フランスワールドカップがあるので、サッカーをネタにネットの記事を書きたいのですが"

考えてみれば唐突で不躾な提案だ。僕もドキドキしながらメールを書いたが、その人は丁寧に返事をくれた。

"自分は雑誌の担当じゃないので、社内の知り合いに聞いてみます"

そして数日後、「iNTERNET magazine」という雑誌(編集部注:インプレス発行のインターネット情報誌)の編集者からメールが届いた。

"興味があるので会いましょう"

これをきっかけに、僕はマイクロソフトに勤めながら、雑誌のライターという副業をする生活が始まった。「出版社に企画を持ち込んでは記事を執筆する」という流れが、名刺の整理をきっかけに突然始まり、気がついたらくるくると回っていたのだ。

iNTERNET magazineに持ち込んだ企画は「インターネットでめざせ最強サポーター!(編集部注:リンク先はバックナンバーアーカイブのPDF)という記事になり、1998年6月号に掲載された。Jリーグの横浜フリューゲルスが消滅して横浜FCが立ち上がるときには、署名活動がネットを起点に広がっていく話を「横浜FC誕生までの100日間」(1999年6月号)としてまとめた。

ネットベンチャー成功のカギを探る」(1999年8月号)は、日本におけるベンチャービジネスの旗手たちを取材した記事だ。当時はまだ設立2年目だった楽天の三木谷浩史社長をはじめ、さまざまな人から話を聞いた。

また、同じころには「日経パソコン」で連載を持った。当時、新しく登場した検索エンジン・Googleの論文や特許文書を読み込んで、検索エンジンの仕組みを解説する企画だ。ちなみに僕はその後、Googleに転職した。

書籍の著者、そして人を紹介する立場に

僕に会ってくれたサッカー好きの編集者は、iNTERNET magazineから「できるシリーズ」編集部のデスクになっていた。そして2005年ごろ、僕に書籍執筆の依頼が来る。雑誌のライターが書籍の著者に変わり、『できる100ワザ SEO & SEM』『できる100ワザ Google Analytics』など、何冊かの書籍を出すことになった。

大内範行さんの著書と掲載誌

大内さんの著書と掲載誌。SEOやGoogleアナリティクスの解説書は、当時のWebサイトに携わる人のバイブルとなりました。

僕は書籍を書きつつ、新たな楽しみも見つけた。インプレスの編集者に、書籍が書けそうな人を紹介しているのだ。すでに何人か、僕の紹介がきっかけで書籍を出版した人がいる。こういった人材の発掘は、自分で書籍を書くのとはまったく違う喜びがある。

ボブ・ディランに「運命のひとひねり」(Simple Twist of Fate)という歌がある。ボブ・ディランもその歌も、僕はそれほど好きなわけではないけれど、題名はとても気に入っている。ボブ・ディランなので、歌詞を読んでもよくわからない。ボブ・ディラン自身も、題名を先に思いついて、そこから適当に詞をつけたのだと勝手に思っている。

運命のひとひねり。人生には時々「ひとひねり」がある。

名刺の整理をきっかけにライターになれて、書籍を書くことができて、気がつくと僕は、他人の運命に少しの「ひとひねり」を加える側になっていた。そこには決意も努力も人生の目的もない。たまたま足元に来た石を蹴り始めたら、道ができていったのだ。

残念なことに、最初に名刺交換をした人は、いまだに思い出せないのだけれど......


大内範行(おおうち のりゆき)

大内範行(おおうち のりゆき)

データ分析者のための日本最大級の協議会「アナリティクス アソシエーション」代表。主な会社経歴は、日本アイ・ビー・エム、マイクロソフト、Google、コニカミノルタジャパン。Googleでは、Googleアナリティクスの技術サービス・マネージャとしてアナリティクスの普及をリードした。コニカミノルタジャパンでは、デジタルマーケティング戦略部の部長として、事業会社のデジタルマーケティング戦略を支援しつつ、ソリューション戦略をリードする役目を担っている。

主な著書

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