自宅にファミコンなかったし
コンピューターゲームが致命的に下手で、弾を撃っても当たらないし、障害物を避けそこなっては死ぬ。アクション要素がからむとカラきしダメで、あ...敵が来た...右に避けよう...ボタンを押す...のタイミングで着弾したり、とにかく指先の反射神経がない。
国民的な横スクロールゲームだって、あ...カメ来た...飛ぼう...早すぎた...カメの上に落ちた...死んだ......ってなるかもしくは遅すぎるかどっちかで、ちょうどいいタイミングでマリオをジャンプさせられない。
あれは、みんなどうやって操作できるようになるのだろう? きっと何度も何度も体で覚えるんだろうけど、自宅にファミコンなかったし、そもそも実家出て10年以上はテレビもなかったので、マリオやリンクを体になじませる機会がなかった。昇龍拳とか撃ってるひとの後ろで見てた記憶しかない。
そんな僕ですらふつうに初手からプレイできたのだから、「スプラトゥーン」の懐の深さはホンマに天井知らずです。あまりに楽しいので、ひょっとしてゲーム下手と思い込んでいただけで、実はそこそこできるのではないか? と試しに同じ機種でマリオを遊んでみたらやっぱりカメを踏んで死ぬ。めちゃくちゃ下手だった。
ゼルダも序盤で放置したままだし、現実はきびしい。記憶の細道をたどってみると、ゲーム下手の始まりはゼビウスでもギャラクシアンでもインベーダーでもなくて、ブロック崩しで玉がいつも板の横をすり抜けてった思い出にたどり着いてしまう。そんな僕をイカだけが許してくれた。ありがとう。ハイカラシティにありがとう。
意外と楽しみたかったんだな
ジャイロ操作の簡単さ、たくさん塗れば勝ちという判定の妙、下手は基本的に下手だけでマッチングされたり、連れてこられたタコみたいに右往左往してても集団戦なので味方が強ければ勝てたり、いろいろと反射神経にぶ夫のことも考えられているのに、すごく上手いひとの動画を見るとびっくりするくらい上手くて楽しそうだ。
下手は下手なりに、ボムを転がすみたいな初歩的なことが初めてできて嬉しかったし、扱える武器もクイックボムが当たるようになったり、スライドが使えるようになったりして選択が広がってきた。
もう老眼鏡が必要な歳になっても新しくできるようになることがあるんだから、意外と中高年向けのゲームなのかもしれない。キャラクターもそういえば70年代っぽいというか、タツノコアニメの「ゴワッパー5」なんかを思い出すんだけど、かわいさとバタくささの絶妙なバランスが懐かしさもあってよい。実はそれもすごく大きかった。ほかのゲームのキャラがどれもなじめないかんじあったので。
こうやって書いててわかったけど、意外と本気でゲームを楽しみたかったんだな。楽しくなる前に挫折しちゃうからずっと興味ない素振りをしてきたけれど、下手でも楽しめて上達も実感できるゲームとようやく出会って、ブロックくずしでボールと一緒に失った楽しみを40年ぶりに拾い上げることができたんだと気づいた。
2016年にタワーレコード渋谷店で行われた、スプラトゥーンとのコラボ企画の店頭ディスプレイ。
毛利勝久(もうり かつひさ)
テック系編集者。90年代からIT系出版社でオープンソースおよびネット文化に関わる書籍の編集に携わる。主な担当書籍は津田大介『だれが「音楽」を殺すのか?』、ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』、近藤淳也『「へんな会社」のつくり方』など。フリーランスを経て、現在はWebサービス事業社でブログメディアを編集制作している。
主な「できるシリーズ」の著書