私が長く続けていること、それは「赤信号では渡らない」ということです。ルール強要ですか、うざいですねーと思われるかもしれません。しかし、私は「赤信号では渡らない」。意識的に頭の中で繰り返して、赤と見たら止まるように心がけています。

よく見て大丈夫そうなら渡ってもいいんじゃない? と思われる方もいると思います。実際、私の中にも赤信号を無視したい自分が存在しています。急いでいたらなおさらです。しかし、それでも「赤信号では渡らない」。


そこまで固執するのはなぜなのか。


信号機というシステムは大変素晴らしい。進めを示す「青」と止まれを示す「赤」、その間をつなぐ「黄」の3色だけで、走る凶器である自動車とそれにぶつかればひとたまりもない最弱の歩行者が混在していてもスムーズに交通システムが成り立つのです。

実によくできている! 素晴らしいデザインです。この車社会に信号機がなかったらどうでしょうか。交通がまったく機能しなくなることは明らかです。ちょっと調べてみたのですが、日本で初めて3色灯の自動信号機が設置されたのは1930年頃のことだったようです。

当時の国内自動車保有台数は約10万台程度だったそうですが、5年で2倍以上の激増期にありました。交通事故も増えていたので、急いで導入したのでしょう。それから約95年後の現在では8千万台以上になりましたが、それだけ増えても基本的に同じシステムのもとで動いているのですからすごい。

赤信号では渡らない

交差点があれば、そこには信号がある。景色は変わっても信号は働き続けている。青山一丁目交差点(左:1960年頃? 祖父撮影、右:2024年9月撮影)

赤信号では渡らない

新宿東口前(左:1959年祖父撮影、右:2024年9月撮影)

しかし、それが成り立っているのも、「赤は止まれ」という基本ルールが守られている前提があるからです。みんなが自分ルールを発動し始めたらどうなることでしょう。その結果は火を見るよりも明らかです。というわけで、信号に対しては、自己都合による判断をしてはならないと思うのです。

しかも、自分の判断力は年々下がっていきます。年を取ってからも、「今なら道を渡っても大丈夫」という判断は正しいといえるでしょうか。歩くスピードは遅くなり、以前は渡れた道でも渡り切れなくなるし、目が衰えて見逃しも多くなることでしょう。

未来の自分の判断を信じ切ることは私にはできません。だからこそ、信号に関しては絶対的に守るべきルールとして、呪いのごとく自分の脳にしみこませていかなければならないと思うのです。それだけ守れば、基本的な安全が担保されるのですから。

自動車は人間の生活を変えてしまう最新テクノロジーでした。それから100年。いままた超高度情報化社会という新たなフェーズに入り加速を続けていますが、そこには信号システムのような安全を担保するためのシンプルなシステムはないように思います。

私に信号機を作る能力はありませんが、信号機の重要さを伝えたり、使い方を教えたりすることはできます(それが「できる」シリーズです!)。新世代の信号機ができるといいんですけどねえ。

そんなことを考えている2024年の夏です。

赤信号では渡らない

赤信号では渡らない

なお、祖父の撮った町の写真、ほかにもたくさんあります(主に電車や都電やバスがらみ)。どこかわかる人がいたら教えてください。


森嶋良子(もりしま りょうこ)

IT系ライター、エディター。WebサービスやSNS、デジタルガジェットの活用ガイドを中心に執筆。著書に「今すぐ使えるかんたん ぜったいデキます! タブレット超入門」(技術評論社)、「できるfit YouTube 基本+活用ワザ 最新決定版」(インプレス・共著)など。

主な「できる」シリーズの著書

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