失敗したっていいじゃん!
できる25周年特設サイトを探索しながら「おっ!」と驚かされたことが2点。
今も昔も不変の定番スタイルかと思い込んでいた「できる」シリーズ。ところが「できるシリーズの歴史」を拝読すると大いなる勘違いだったようだ。大判の入門書シリーズ新設、電話サポート開始、ハンディタイプ、逆引きシリーズなどなど、むしろ果敢なチャレンジの連続。ニーズに応え不断の試行錯誤とアップデートを続けた結果の「総計7,500万部突破」なのだなと気付かされた。変化に対応する柔軟性とスピードが強みとなる時代だ。
もうひとつの驚き、それはリレーコラム著者陣だ。過去一緒に仕事をしたことある方も多いのだが、プロフィールを拝見するといつの間にか皆、年取ってる。そりゃ自分だって40代終盤なのだから当然だ。最初のパソコンを購入し「できる」シリーズで学んだのが20代、「できる100ワザアフィリエイト」を共同執筆したのが30代、ともに遠い過去の記憶だ。
立派な中高年に成長した今、自問することがある。変化スピードも速い業界の中で、私はちゃんと時代についていけている「できる中高年」になっているだろうか。
「君らはパソコンもインターネットも使いこなして、時代の最前線を走っている。スゴイよね。でもいつか50代になったらわかるよ。新しい技術についていけなくなり、チャレンジが難しくなるんだ、年を取ると。そして時代から取り残されていくんだ、俺みたいに」
検索エンジンに転職した20年前、人生の先輩から言われた言葉だ。 いやいや、ネットの力なんぞ借りなくたってAさんはバリバリ仕事できるじゃないですかとお世辞を返しつつ、その言葉は楔のようにずっしりと残った。
いつか自分も時代から取り残されるのか。
ここ10年は「ミニサイト作り職人」を名乗り、ニッチなテーマで小ぶりな完結型サイトを作って運営し、その広告・アフィリエイト収入で生計を立てている。ただスマホアプリ全盛時代でSNSが定着した今、サイト運営で食っていくのは10年前ほど容易ではない。次々と技術や知識を吸収して新しい領域を切り開いてゆく若い世代を眺めながら、「できない」と感じることも増えてきた。
思えば30代までは、意識せずとも必要に迫られ「できる」ことはじわじわ増えていった。40歳を過ぎると仕事に最低限必要なスキルは獲得済で、新たな「できる」を身に着けるための挑戦や努力を怠りがち。結果、仕事環境が全体的にシュリンクし、マンネリ化していった。
自分自身をアップデートできていない。
このままじゃ「できる中高年」になれない。
時代から取り残されてしまう。
そして決めた。「この年齢で今更」という抵抗感を封じ込め、気になることは何でもやってみようと。自分の知見・経験値を増やせることは全部挑戦してみようと。失敗したっていいじゃん、おばさんなんだから。
孫正義氏だって言っている。「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである」と。多少取り残されようと、自分自身が前に進んでさえいれば、それでいい。
小型バイクで沿岸ツーリング
北海道苫前郡のみさき台公園での1枚(2015年8月10日撮影)。
40代チャレンジその1は「バイク免許取得」だ。42歳の時、Facebookにぽろり書いた一言がきっかけで、勢いで普通二輪免許を取得した。
そして購入したのが110㏄のHONDAクロスカブというバイク。「海沿いだけを走る」沿岸ツーリングを始め、今年2019年8月、遂に沖縄や離島を除く日本一周沿岸ツーリングチャレンジを完結した。6年間で107日、走行距離は16,045キロ。その全行程の記録は「小型バイクで走る日本一周沿岸ツーリング」というミニサイトにまとめてある。
急激な発展を遂げる北京に1年間の短期語学留学
中国語マスターのために1年間留学した北京郵電大学(2013年2月27日撮影)。
2つめが「中国語」。40歳から自学で学び始めたのだが、全然しゃべれるようにならない。覚えても左から右へと抜けてゆく自身のメモリー劣化が口惜しかった。
このままじゃ埒が明かないぞと、外国人のための中国語コースがある中国の大学を調べ、43歳の時に1年間の短期語学留学をした。大学構内にある外国人留学生のための学生寮に住み、10~20代の若い人たちと一緒に学食でランチを食べ、机を並べて学んだ。
ちなみに中国の大学の中国語コースのほとんどは、特に入試もなくエントリーすればだれでも入学できる。専用の学生寮もあり、学費と生活費に渡航費なども入れ年間ざっくり100万円程度。突如リストラされ再就職もままならずなんて時、1年間思い切って中国に渡り中国語ぺらぺらになって帰ってくるという選択肢もあることを覚えておくと、いつか役に立つかもしれない(残念ながら私はぺらぺらにはなれなかったが)。
巨大シェアハウスなら中高年だって大丈夫
シェアハウス暮らしだって、いざ飛び込んでみたら「できた!」(2019年11月6日撮影)
最後3つめ。45歳でシェアハウス生活を始めた。これはチャレンジというより成り行きだが、「40代でシェアハウス暮らしって無理があるだろう」という心理的な壁を打ち破るのに勇気が必要だったのは確かだ。
シェアハウスというと、20~30代の男女数人がリビングやキッチンを共有しながら仲良く、あるいはバトルしまくって「共同生活」するイメージがあるだろう。人気テレビ番組「テラスハウス」的な濃厚な人間関係を想像する人も多いはずだ。 ところが今都市部には、50人以上、時に300人近い人が暮らす「巨大シェアハウス」がいくつもある。私が暮らしている物件もそのひとつ。
- 週に3日ほど清掃スタッフが入り、キッチンやバストイレまわりの清掃をしてくれる
─居住者間の掃除当番などの揉め事も起こらない - 居住者が多いので人間関係は逆に煩わしくなく、中高年でも気楽
─付き合いたい人とだけ交流すればOK/一切他の居住者と交流をしない人も - シアタールームやトレーニングルーム、豪華ラウンジなど充実の共有施設
─高級キッチン家電やエクササイズアイテムなどもシェアで快適な暮らし
日常生活で接点の少ない若い世代とも交流でき、新しい情報や刺激も得られる。自分の荷物は最小限なので、気が向いたらまた新しい場所のシェアハウスを探し引越しできる。この自由度の大きさは実に魅力的だ。
シェアハウス生活は、40代おばさんとしてかなり難易度が高いチャレンジ項目だったので、このハードルを乗り越えたことで自信もついた。
「年齢を『できない理由』に設定しなければ、何歳になったって何でもやれる」と。
来年には40代も卒業し次のステージへとあがる。 50代もその先も自分アップデートを続け、まだまだ新しい「できる」を増やしていきたい。 リレーコラムを読むと、海外移住した人、フルマラソンを始めた人、水墨画に挑戦している人など、現状に留まることなく新しい地平線を追いかけ前進する同世代がたくさんいる。
「できる」
と愚直に思い込んで挑戦し続ける限りきっと私たちは、加齢が原因で時代から取り残される悲哀を20代に対してぼやくことはない。なぜならこの時代、「できる」「やってみよう」と思いさえすれば、そのために必要な情報・ノウハウ・体験談は用意されているのだから。
向上心に満ちた初心者の最初の一歩を、丁寧かつ非常に効率よく導いてくれる「できる」シリーズのさらなる発展に期待をしています。
和田亜希子(わだあきこ)
サイト制作・運営者
1970年生まれ/千葉県香取市出身/早稲田大学政治経済学部卒業
都市銀行を経て1998年にライコスジャパン(検索エンジン)にオープニングスタッフとして入社。2001年に独立し、企業のアフィリエイト・マーケティング導入支援や運用代行、製品レビューを得意とするブロガーのネットワーク構築などを手掛ける。2000年以降は「ミニサイト作り職人」を名乗り、ニッチなテーマでのサイト企画・構築・運営を主に行っている。運営サイトには「東京ビアガーデン情報館」「台湾温泉ガイド」「小型バイクで走る沿岸ツーリング」など。
主な「できるシリーズ」の著書