Part2 Section 06 アスクル
センサーと連携して物流拠点の大幅効率化も
内山陽介 氏
アスクル株式会社 CTO
2008年にヤフー株式会社に入社し、Yahoo!ショッピングの開発を担当。2018年にアスクル株式会社に入社。一般消費者向け(BtoC)サービス「LOHACO」の開発責任者を担当。その後、ロジスティクスやビッグデータのシステム責任者を経て、現在はCTOとして、システム・組織の最適化や全社のテクノロジー化を推進している。
「Toの文化」から卒業したい!進化を続ける会社の次なる一手
会社の必要なものを注文したいとき、日用品や食品をすぐに家へ届けてほしいとき、アスクルが手掛ける事業所向け通販サイト「ASKUL」や個人向け通販サイト「LOHACO」を利用するという人も多いだろう。これらのサイトから物流管理までのシステム開発に力を入れ、ITエンジニアも積極的に採用しているアスクルだが、社内での情報共有に課題を抱えていた。
「当社では、何か情報を共有するとき、共有したい相手全員分のメールアドレスを『To』に入れてメールを一斉送信する文化がありました」と内山氏は語る。手作業のためアドレスの指定が漏れてしまったり、受け取った側もメールの確認が遅れてしまったりして、結果的に情報の伝達ミスが発生してしまうことが問題だった。
「メーリングリストも増やしてはみたものの、伝達ミスは防ぎきれず、あまり使われませんでした」(内山氏)
解決したい課題はもう1つあった。
「メールやチャットで話し合いをしている中で、途中から人が加わることもあります。しかし、途中参加の人にとっては、文脈がわかりづらい。メールの履歴をさかのぼって共有すればいいのですが、これは共有する側・される側の双方にとって負担です」(内山氏)
Slack導入前に使っていたコミュニケーションツールも、履歴を共有する面では満足できなかった。「簡単に履歴を追えるビジネス用のコミュニケーションツールが必要」と内山氏は感じていた。
本当にいいものを主観的に選択するために
伝達ミスをなくし、スピーディにコミュニケーションできること、そして、途中から参加したメンバーでも過去のやりとりを把握できること。そのような条件をクリアするビジネスツールを探し、複数のテスト導入も行って、選んだのがSlackだ。
アスクルでは、2016年からSlackを導入。BtoCサービス(LOHACO)のエンジニアグループから使用を開始し、広報や人事、マーケティングなど、ほかの部署にも展開していった。現在はBtoCのエンジニアがBtoBサービス(ASKUL)のエンジニアグループに異動したことなどがきっかけでさらに広がり、全社の70%が使うまでに拡大した。
現在も旧ツールとSlackを両方使えるようにしているものの、ほとんどの社員はすでにSlackに移行した。Slackのほうが必要に応じてチャンネルを作りやすいという、使い勝手のよさが評価されているようだ。なお、利用するツールの選択について、内山氏やチームのリーダーが指示することはなく、現場のメンバーの意見によって選択しているという。
「実際に使うメンバーが、使ってみていいなと実感を持てるほうが広がりやすいためです。上から使えと言うのではなく、よさを実感してもらうことを意識しています」(内山氏)
オンラインでの取材に応じる内山氏。アスクルでのSlack導入の取り組みをつまびらかに語ってくれた。
Slackを開けばいつでも「情報が落ちている」
実際にSlackを導入してみて、どのような変化を実感しているのだろうか。
「やはり、『いつでも情報が落ちている』のは大きなアドバンテージと感じています」(内山氏)。
「情報が落ちている」とは、いつでも欲しい情報が目の前にあり、すぐ確認できる状態を指す。当初の課題であった、ルームに途中参加する人が以前のやりとりを確認できないという問題も、Slackで見事に解消された。
「重要な会議をしているミーティングルームがあったとして、そこに新しく異動した社員が参加した場合、過去にどういう話をしていたかをひとつひとつ共有するのはなかなか難しい。Slackなら、そのルームに入れば、今までの話がすぐ確認できます」(内山氏)
アプリ開発の容易さがSlack導入の決め手
履歴(過去のログ)の見やすさと並んで、Slackを選んだもう1つの決め手は、「連携できるアプリが豊富なこと、またカスタムアプリの開発のしやすさ」だったと内山氏は言う。
SlackのAppディレクトリでは、TwitterやGoogleなどの企業、または個人が制作したアプリが公開されており、簡単にSlackへ組み込める。プログラミング不要である程度のカスタマイズが可能なので、エンジニアがいなくても業務に合わせて取り入れやすい。
「例えば、中途採用は今、すごくスピード感が求められています。申し込みをいただいたら、できるだけ早く返信するのが常識なのですが、メールの通知では気付かないことも多くて......。そこで、応募が来たらすぐSlackで通知するというカスタマイズをしました。この機能はもともとSlackに用意されているメールとの連携機能を応用したものなので、実装も簡単でした」(内山氏)
SNSのウォッチにもAppを活用している。
「Twitterで『LOHACOの商品金額がおかしい』といった注意すべきコメントがあったら、Slackに通知するようにしました。これも、SlackのTwitter Appをカスタマイズして作成しています」(内山氏)
KNOW-HOWまだまだある! アスクルでのアプリ開発事例
アスクルでは、さまざまなアプリとSlackを連携して業務効率化を図っている。ここではその一部を紹介しよう。
・マーメイドマン
共有フォルダー上のパスをWindowsとMac間で変換してくれるアプリ。WindowsとMacではパスの表記方法が違うため、今までは相手に合わせて手直しが必要だった。
・くれBot
キーワードをメッセージとして投稿すると、該当の手順書を返すBot。例えば「人事のメーリングリストくれ」と投稿すると、メーリングリストのアドレスを表示してくれる。大変だったメーリングリスト探しの時間が皆無に。Slackbotのカスタムレスポンスで作成されている。
・辞書君
社内だけで使用している専門用語の意味を返してくれるアプリ。新入社員や中途採用向けに作成。これもカスタムレスポンスで作成されている。
「こういうものがあるとナレッジの共有になっていいかなと思い、導入しました」(内山氏)
エンジニアだけでなく、業務を行う人にこそ使ってもらうために、開発をしています
「くれBot」の使用例。
物流センターの故障対応をセンサーとの連携で省力化
アスクルは巨大な物流センターを抱えている。センター内で利用する機械を点検するため、作業員はかなり長い距離を歩かないければならないという。この改善にも、Slackが活用されている。
ベルトコンベアーで流れてきた商品のバーコードをバーコードリーダーで読み取り、Google Cloud Platformへ連携。読み取り精度がしきい値を下回ると、現場と本部の担当者にSlackで故障予知のアラートが通知されるアプリを開発した。甲子園球場4個半分もの規模がある物流センターでトライアルとして利用を開始したところ、年間の作業時間削減効果は365時間にも至ったという。今後は対応拠点を増やすことで、年間98,000時間超もの削減効果が見込まれるという。
「このアプリを開発するまでは、完全に人力で対応していました。物流センター内の全部のポイントを見回らなければならず、歩く距離も相当あった。これがなくなったのは大きいですね」(内山氏)
アスクルでは、SlackのAppディレクトリで提供されているAppを90ほど、独自開発したAppを35ほど利用している。最近では、オフィスのセキュリティシステムの有効化を忘れないよう確認できるAppを導入した。
テレワーク時は出社する社員が限られているため、最終退出者がセキュリティシステムを有効化するルールになったが、忘れて退出することもしばしばあったという。そこで、19時以降に退社扱いになっていない社員には、セキュリティシステムの有効化を忘れないようSlack上で通知するようにした。
開発のきっかけを聞くと「総務部の方に怒られたくないですから(笑)」と内山氏は笑う。会社の運用に関わる機能から、日常のかゆいところに手の届くちょっとした機能まで、実に幅広いニーズをSlackでカバーしていることに驚いた。
物流センターの故障予知システム
物流センターに設置しているバーコードリーダーの読み取り精度がしきい値を超えると、このようにSlackに通知される。
「Slack商談」というニュースタンダード
コミュニケーションをもっと活発化させるために、なるべくSlackをオープンに使ってほしいと内山氏は語る。現在ワークスペースは、社内用に1つだけ。部門間で分けてはどうかという話もあるが、オープンなスペースでふだんは接点のない社員同士が接点を作る機会を増やしたほうが、会社のためになると判断してのことだ。ただし、社外とのコミュニケーションや商談をする場合は、ワークスペースを分けたほうがいいと考えているという。
「Slackでの商談は増えています。先方から『Slackで交渉できないか』と打診されることもあります」(内山氏)
例えば、最初だけお互いの上司がやりとりをして、具体的な交渉は部下が行うという商談は往々にしてある。そうしたとき、上司は常に状況をチェックでき、部下も上司が確認している中で交渉できるので、心理的にも安心できるというメリットがある。今後はよりSlackでの社外対応がしやすいよう、複数のワークスペースを開設・管理できるEnterprise Gridの契約も視野に入れているという。
今後、社内の個人間だけではなく、日本全国の会社とコラボレーションする機会が増えるだろうと、内山氏はにらむ。そのとき、Slackが交渉の中心となる可能性は十分あるといえるだろう。
KNOW-HOW実績と実践で経営層にアピール
社員には実際にSlackを使ってよさを感じてもらい、ボトムアップで広げているとのことだが、経営層には、Slackのよさを理解してもらうためにどのように働きかけているのだろうか。内山氏は、まずはアピールできる実績を作ることが重要だという。
「物流センターの事例はまだ新しい例ですが、その前には『50人のグループでSlackを利用し、月に300時間の時間削減につながった』といった説明をしました」(内山氏)
たしかに、数値化された実績はわかりやすく、説得力がある。加えて、実際にSlackを使ってもらうためレクチャーをして、よさを感じてもらっているそうだ。
「当社は経営層と社員がわりと近い位置にいると思いますが、さすがに、一緒にSlackについて語り合う機会はなかなか持てないと思います。そこで、経営層に実際触ってもらう機会を作りました。取締役に、担当部門のチャンネルで『いいタイミングで絵文字で反応してください』と伝えて、実際に絵文字を投稿してもらったのです。実際に使ってもらい、よさを理解してもらうことも大事だと思います」(内山氏)
このときの皆の反応はよく、そうした反応を伝えたことで、経営層もSlackに好印象を持ったそうだ。この後、全社で導入していく道筋が付いたという。
数値による実績と実際に使った感覚で、Slackのよさを理解してもらいやすくなります
人と人が起こす化学反応をデジタル上で再現したい
日本中でテレワークが推進される中、内山氏が懸念しているのは、「情報がどんどん交わりづらくなっているのではないか」ということ。いわゆるセレンディピティ、偶然の出会いや思わぬ発見は、決まった相手との決まったやりとりだけでは起こりにくい。知らない者どうしがぶつかり合うことで生まれる化学反応をオンラインで起こしたい、と内山氏は願っているという。
例えば、新規事業の企画に悩んでいるとき、社内のさまざまな部門のチャンネルがオープンになっていて、やりとりを覗き見ることができたら、思わぬヒントや協力のアイデアが生まれるかもしれない。
「喫煙ルームや、カフェのようなイメージですね。(外出自粛期間中だと)実際にはそういう場に行きづらいので、デジタル上に用意できればいいなと思っています」(内山氏)
デジタル上の交差点を作るアスクル流「働き方改革」
Slack上で人と人との接点を取り持つために、2つの対策が必要だという。
「まず情報が『落ちる』、つまり、多くの人の考えがSlack上に集まったり、業務に役立つさまざまな情報が自動的に共有されたりして、必要な人が簡単に『拾って』利用できるようにしたいと思っています。具体的には、Slackのパブリックチャンネルをもっと増やしたいですね。情報が落ちている場を増やし、共有化して、ふだんは接点のない人どうしの交流を増やせれば」(内山氏)
さらに、人となりを共有するのも、もう1つの重要なテーマだと語る。
「趣味とかこれまでの経歴とかいった、その人のパーソナリティがわかると、話しかけやすくなりますよね。そこをBotなどでフォローできないかなと考えています」(内山氏)。
社員同士がコミュニケーションする場を構築するために、希望者が、考えや仕事状況などを書き込んでいく自分用チャンネルを持てる「分報」(P.101参照)の充実や、自己紹介用チャンネルに自己紹介の書き込みを促すBotを導入することなどを計画しているという。「この2つを進めることで、交差点ですれ違うように、知らない部署だった者どうしをつなげられれば」と内山氏は展望を語る。
リアルでの接点に加え、Slackなどのシステムを利用したデジタル上でのコミュニケーションを加速させたいと内山氏は語る。アスクルの社員は約800人、業務委託のスタッフなどを含めるとさらに多くの人員が一緒の会社で働いている。人と人との接点が巻き起こす可能性は無限大だ。
「会社という組織は縦割りですが、人と人が垣根なくぶつかれるというのは非常にいいこと。きっかけはオンラインでもオフラインでも、どちらでもいい。ただ、すれ違う交差点をいっぱい作りたい」(内山氏)
コロナ禍で人と人とのコミュニケーションが希薄になりがちな今だからこそ、意外な出会いやコミュニケーションを育む「もう1つのオフィス」としてSlackを活用する。内山氏の言葉からは、そのような大きな構想が伝わってきた。
KNOW-HOW情報を連携させて行動を助ける
情報を連携させ、さらに役立つAppを作っていきたいと内山氏は強調する。例えば、倉庫で商品をピックアップして箱詰めする作業が何件あるのか、現場にリアルタイムで情報を共有したいという。これにより、工数の予測や退勤までのスケジュールが立てやすくなり、生産性の向上につながる。
また、テレワークにより出社している人が少ないことから、特定の人物を指名して出社しているか調べられるアプリも考えているという。例えば、Slackで「社長は出社していますか?」と質問すると、自動的に答えが返ってくる仕組みだ。内線電話をかけたり、直接訪問したりして「空振り」となる前に出社状況を確認できる。
Slackを介して情報をうまく動かすことで、人の動きを効率化できます
人力の膨大な作業量を短縮できる可能性を感じた
アスクルの活用事例で特に印象的だったのは、物流センターにおける見回りの改善事例だ。
製造や物流といった非IT企業でのSlack導入はまだこれからで、自社に合ったシステムとするためにはどうしても多少の工数をかけた開発が必要となる。しかし、これまで人力で行っていた巡回や点検を自動化し、Slackに集約できることの効果は非常に大きいのだなと、あらためて感じさせられた。Slackは人間のコミュニケーションツールでもあるため、人間が対応するべき事態が起きたときに、そのまま通知ができるのも利点だ。
内山氏の発言から、人と人とのコミュニケーションの機微への配慮がうかがえたのも興味深かった。上から指示するのでなく、環境を用意して実際によさを感じてもらう、知らない人との偶然の出会いが起きるように気を配るなどの配慮は、目立たないかもしれないが確実にいい結果を産むだろう。
※「Slackデジタルシフト」の取材は2020年8~9月に、ビデオ会議を利用して行っています。