Part2 Section 08 三菱重工
社内の懸案に挑む新チームで開発環境の中心にSlackを導入
川口 賢太郎 氏
三菱重工業株式会社 成長推進室 デジタルエクスペリエンス推進グループ プリンシパルエンジニア
大学・大学院で建築デザインを専攻。三菱重工入社後は建築デザイナーとしてさいたまスーパーアリーナなどを担当。その後、MBAにてアントレプレナーシップファイナンスを専攻し、製品開発・事業開発に担当業務を移行する。現在はプリンシパルエンジニアとしてデジタルエクスペリエンスデザインに取り組んでいる。趣味は忌野清志郎。
三宅英樹 氏
三菱重工業株式会社 成長推進室 デジタルエクスペリエンス推進グループ エンジニア
新卒でSIerに入社し、エンジニアとして高速道路の料金収受システムや
海外スマートグリッドプロジェクトに従事。その後、三菱重工にJOINし事業部門向けのアプリケーション開発やインフラ構築に従事。趣味はベランダ菜園。
アフターサービスのIT化による改善が急務に
「三菱重工業株式会社」(三菱重工)と聞いて、皆さんは何をイメージするだろうか。宇宙開発、航空機製造、造船、発電所をはじめとした社会基盤のエンジニアリング......人によってイメージするものは大きく異なるはずだ。それもそのはず、三菱重工グループには大きく分けると7つの事業ドメインがあり、いずれも日本トップクラスの実績がある。
日本を代表する重工メーカー・三菱重工では、近年各事業で分社化を行ってきた。これは、各事業の経営を機動的にするというメリットがあった一方で、1つ1つの会社の規模が小さくなり、デジタル化に取り組みにくくなっていた。
このような課題を解決するために設立されたのが、今回お話を伺った川口賢太郎氏が率いる成長推進室・デジタルエクスペリエンス推進グループだ。既存の情報システム部門が業務環境全般や開発・製造業務のITによる環境改善を目的としているのに対し、デジタルエクスペリエンス推進グループでは顧客体験、顧客へのアフターサービスをITにより改善することを目的とする。
同グループでは「顧客体験のIT化による改善」を目的に必要なシステムを開発したり、社内の情報共有体制を整えたりする。それと同時に、自らのチームのために業務環境の刷新にも取り組んでいる。そこで導入されたのがSlack、というわけだ。
三菱重工では、製品の開発と製造には当然ながら力を入れ、従来から投資も行っている。一方でアフターサービスに関しては、人力で何とかしようという発想が強く、システムの改善が進んでいなかったため、顧客からの依頼を受けても処理しきれないなどで、顧客満足度が低い状態が続いていた。アフターサービスの品質を上げることで、販売の向上にもつながることは明白だった。
「三菱重工では、設計や生産のフェーズには力を入れて投資が行われてきました。一方で、製品を販売したあとのサービスに対しては、『汗をかいて何とかしよう』という考えで、あまり投資もされてこなかったのです」
川口氏は設立当時をそう振り返る。
社内外を横断する円滑なやりとりのためSlackを採択
川口氏がまず取り組んだのが、システム開発のSaaS/PaaS化と、Slackを中心とした組織運営だ。SaaSは各種ツールをクラウド化したものだが、PaaS(パース:Platform as a Service)とは、ツールの開発・運用環境(プラットフォーム)をクラウド化したものだ。
従来はオンプレミスが中心だった開発・運用環境を、SaaSやPaaSを中心とした環境に切り替え、サービスとして利用するようにした。SaaS/PaaS化にはコスト削減のほか、新しい環境を取り入れやすいなどのメリットがある。
あわせて開発・運用体制も、外部委託から内製化へと切り替えている。内製化には、サービスの提供や改善が迅速になるなどのメリットがある。なお完全な内製ではなく、パートナー企業のメンバーとワンチームになって開発していく準内製を採用している。
チームのメンバーは、所属組織も異なれば、勤務時間や勤務地もバラバラとなる。情報共有を滞りなく行うことと、導入しているいくつものSaaS/PaaSの情報を都度切り替えて確認するのではなく集約的に確認できるようにすることが、チーム運営とコミュニケーションおける課題であった。 そのためのツールとして候補に挙がったのがSlackだった。人と人とのコミュニケーションを改善できるだけでなく、開発環境に採用したSaaSとの連携も可能になる。三菱重工のポリシーに合致するプランが最上位のEnterprise Gridしかなかったが、導入を決定したという。
「さまざまな制約がある中、当社の基準に見合うものがEnterprise Grid。即決でした」(川口氏)
川口氏が率いるデジタルエクスペリエンス推進グループと関連するチームにSlackが導入されたのは2019年4月。取材時で約1年半の運用となる。使用して感じたメリットを尋ねてみたところ、テキストで可視化されるため、実際に現場に出向くよりも素早く状況を把握できる点があがった。
「コンタクト可能な人はステータスでわかりますし、ビデオ通話を使えば実際に顔を合わせるのと同じくらい会話が弾むのもいいですね。あわせて他システムでの承認ワークフローをSlackと連携させています。いわゆるハンコ出社をかなり減らせるようになりました」(川口氏)
KNOW-HOW社外コミュニケーション用のツールとしてのSlack
三菱重工では社内コミュニケーション用のツールとしてMicrosoft Teamsを使用しているが、こちらはセキュリティなどの運用基準で外部のメンバーは招待はできないことになっている。それならばと、Microsoft Teamsとは別のコミュニケーションの場としてSlackを用意した。
このように、社内用のツールに外部メンバーを招待するのが難しい場合における、第2の場としてSlackを活用するのも1つの手だ。
社内はMicrosoft Teams、社外のメンバーも含むプロジェクトはSlackと使い分けています
コミュニケーション強化のためにチャンネル構成に工夫をこらす
会社によっては全社で1つのワークスペースを利用することもあるが、三菱重工ではプロジェクトごとにワークスペースを分けている。基本的にプロジェクトは事業部ごとに行っているため、実質的にはプロジェクト=事業部と理解してよいだろう。
Slackに参加するメンバーは、大きく分けて3種類に分類した。川口氏らデジタルエクスペリエンス推進グループは、すべてのワークスペースにアクセスできる。その他の社内メンバーは、自分の参加しているプロジェクトのワークスペースに参加できる。社外パートナーは、Slackコネクトでチャンネルを共有するか、ゲストとして必要なチャンネルにだけ参加してもらう方式だ。
さらに、システム開発に利用する各種ツールからの通知を受け取るためのチャンネルなども設けた。三菱重工にはなかった「分報」(次ページのコラム参照)という文化を取り入れた専門のチャンネルも導入するなど、新しい文化を取り込むことにも意欲的だ。外部のシステムとも連携し、Slackをハブとすることで、必然的にリアルタイムでメッセージも目に付きやすくなったと好評を博している。
Slackを導入したことで多くのメリットを実感している川口氏だが、現状では社内の数十人のメンバーと、社外パートナーという限られた範囲での運用にとどまる。
「今後は、社内よりもむしろ社外とのコミュニケーションが必要な部署での導入を優先することになると思います。顧客とのやりとりも今のところは利用していませんが、将来的にはカスタマーポータルで受け付けた要望などのあらゆる情報を、Slackで一元的に把握できる構成にしていきたいですね」(川口氏)
KNOW-HOW頭の中を整理でき、会話のきっかけにもなる「分報」
「分報」(ふんほう)とは、「分単位の報告」が語源だ。1日単位で行う日報とは異なり、自分の好きなタイミングで現在の状況をSlackに書き込み、報告することだ。
Slackで自分用の分報チャンネルを開設し、仕事の状況や考え、直面している問題などを書いていく。基本は「ひとりごと」で、言語化して現状を整理するために役立つが、ほかのメンバーが見ていたら、ゆるやかに情報共有されたり、意見や問題解決のヒントをもらえたりすることもある。
川口氏はIT企業からの転職者に教わり、取り入れた。
「たくさんつぶやく日もあれば、そうでない日もあります。そのあたりは結構自由ですね。後で自分の仕事を振り返ることもできるので、頭の中も整理されます」(川口氏)
三菱重工の社員たちも、オンラインのタバコ部屋や休憩室のような感覚でコミュニケーションできるので、この新しい文化を歓迎しているようだ。
後で自分の仕事を振り返ることもできるので、頭の中も整理されます
87%がテレワークでもパフォーマンスを維持と回答
新型コロナウイルスの流行に伴い、三菱重工では、生産系の部署など一部の事業部を除き、デスクワーク主体の事業部はテレワークに切り替えた。一般的な大企業では急激なテレワークへのスイッチで生産性を落とすことが多いが、川口氏のデジタルエクスペリエンス推進グループではそうした問題はほとんど起こらなかった。
「アンケートを採ったところ、テレワークの導入前後で生産性は変わらないと答えた社員が大半でした。就業時間については減った・増えたで回答が分かれましたが、弊社の場合は、Slackの導入そのものより、プロジェクトの状況に左右される面が大きいと感じています」(川口氏)
突発的なテレワークへのスイッチでも、Slackを導入したデジタルエクスペリエンス推進グループでは、以前と同じ水準のアウトプットとコミュニケーションの量・質を維持することができている。Slackを利用していた社員や社外パートナーからは、「コミュニケーションの場がしっかり用意されていて助かった」という声が多く聞かれた。テレワークに取り組んだメンバーのうち87%が、オフィスワークと変わらない質のアウトプットができていると回答した(下図)。
テレワーク導入後の生産性の変化に関するアンケート結果
オフィスワーク時よりもコミュニケーションの量が増加
テレワークの最大の課題は、コミュニケーション不足と言われることが多い。しかし、三菱重工ではその逆の現象が起きていた。オフィスワーク主体だった頃よりも、確実にコミュニケーションの量が増えたというのだ。これは、「やってみたことを共有しよう」という文化がもともとあったためだと、川口氏は分析する。
Slackを導入する前から、朝会・夕会を催したり、月に1回ライトニングトークを行ったりなど、コミュニケーションの場を作るよう心がけていた。Slackの導入により、こうしたコミュニケーションや文化の浸透が加速されるようになったと、川口氏と同じデジタルエクスペリエンス推進グループに所属する三宅英樹氏は、現場の意見を述べる。席を立ちたいけれど、静かなオフィスでは声を出しづらい......そのような遠慮がなくなった。ザッソウ(雑談を兼ねた気軽な相談のこと)をするときには、Slackの音声通話機能を気軽に活用している社員が多い。
「4月にプロジェクトへ参加したメンバーに、8月になって初めて対面しました。でも、話す距離感にまったく違和感がありませんでした。Slackでやりとりしていたときと何ら変わりません。そこにすごさを感じました」(三宅氏)
今後も、在宅勤務主体の社内体制に変わりはない。感染防止の観点からも、継続を望む社員が多いようだ。こうした未曾有の事態にSlackが存在しなかったら、きっと混乱していたことだろう。
実は、コロナ禍以前、デジタルエクスペリエンス推進グループは難題を抱えていた。スクラム開発(関係者のフィードバックを元に柔軟にシステムの設計や計画を調整する開発手法)やチーム開発(新しいツールや方法論を採用した、チームでのシステム開発をより効果的に行うための手法)といった先進的な開発手法に取り組みたいと考えつつも、上手く進めることができなかったのだ。
ところが、テレワークに移行し、Slackをはじめプロジェクト管理ツールの「Backlog」(バックログ)や共有ホワイトボードの「miro」(ミロ)といったSaaSを駆使するようになったことで、自然に解決したという。こうした新しい開発手法への積極的な取り組みも、テレワーク化の大きな成果といえよう。
KNOW-HOWSlackとのアプリ連携の生かし方
デジタルエクスペリエンス推進グループでは、ビデオ会議のZoomやプロジェクト管理ツールの「Backlog」に、オンラインストレージの「Box」(ボックス)、バージョン管理ツールの「GitHub」(ギットハブ)、電子署名サービスの「DocuSign」(ドキュサイン)と、さまざまなSaaSを並行利用している。
そうすると悩ましいのが通知の確認だ。常にすべてのSaaSをチェックし続けるわけにはいかないので、Slackで各SaaSの通知を一元化して確認できるようにしている。
例えば、各種業務ツールを作成できるSaaS「Kintone」(キントーン)のツールで承認を求められたら、自動でSlackに通知が表示される。担当者は通知をクリックすれば、Slack上で承認の手続きに移行できる。
SaaSはそれ単体でも効率を高める効果があるが、ほかのツールと連携することで、通知の見落とし防止とさらなる業務効率向上も期待できる。
Slackを、システム連携によるコミュニケーションのハブにしたいと考えています
Slack運用の今後の展望と課題
テレワークに移行してから、Slackによるコミュニケーションの改善は一定の成果を得ている。Slackを活用した今後の展望を川口氏と三宅氏に尋ねてみたところ、「今後は、申請系の処理もSlackと連携させることで済ませたい」と語ってくれた。
「例えば、SaaSを利用するためのユーザアカウントの申請は、現状Slack上での文字のやりとりが中心ですが、ある程度パターンが見えてきています。そこでSlack上に申請フォームを構築し、フォームへの入力から実際の登録までを自動化したいと思っています。自動化の構築にはiPaaSの導入を検討しています。iPaaSの候補として現在検討しているのがworkato(ワーカート)です」(三宅氏)
定期的なアクション・投稿を自動化するワークフロービルダーの導入も検討している。同アプリの自動通知を使い、朝会・夕会の開催を通知。ミーティング用のリンクも自動で挿入する。そうすることで、開催を忘れそうなときに重宝するはずだ。また、現在はkintoneに日々の作業内容と時間を登録しているが、効率化のためにSlackから登録できるようにしたいとも考えている。
workatoとは
workatoは、APIを通じて複数のSaaSを連携できるツール。Slackと連携することで、Slackから投稿したテキストを各種サービスに反映することも可能だ。
見習うべきは新しいものを取り入れる姿勢
デジタルエクスペリエンス推進グループでは、見事にテレワークへの移行を成し遂げたが、その立役者は間違いなくSlackだろう。「経営の革新と技術の開発に努める」という三菱重工の社是あってこそのようだが、Slackを活用するようになってからコミュニケーションの増加と新しい開発方法が浸透するなど、一歩一歩着実に成果を上げているそうだ。
最上位のEnterprise Gridを即決するような判断は、一般企業にはなかなかまねできないかもしれない。しかし、いいと思ったSaaSをどんどん取り入れ、Slackと連携しつつ、業務内容に合った適切な運用方法を考えていく。新しいものを積極的に取り入れて課題を解決しようとする姿勢は見習いたい。
今後、利用範囲が拡大していくにつれて新たな課題も出てくるだろうが、川口氏が率いるデジタルエクスペリエンス推進グループがSlackを核に組織マネジメントをどのように改革していくのか注目していきたい。
オンラインで取材に応じる川口氏。取材ではデジタルエクスペリエンス推進グループの取り組みやSlack導入による成果が語られた。
※「Slackデジタルシフト」の取材は2020年8~9月に、ビデオ会議を利用して行っています。