「サーバー」と「アプリケーション」の2つの層
これまでクラウドコンピューティングの概念を説明してきましたが、最初にも述べたように、実際には明確に定義付けられているわけではありません。また、クラウドコンピューティングには大きく分けて2つの層があり、若干意味が異なります。
1つは開発者・技術者向けのサーバー層を表すもので、
「雲のような巨大なサーバー(のプラットフォーム)を使うこと」
を指します。
そしてもう1つ、私たちのようなエンドユーザー向けのアプリケーション層を表すものとして、
「クラウドのサーバーを利用したアプリケーションを使うこと」
を指す場合があります。
エンドユーザーにとってはサーバーがクラウドか、オフィスにある数台のマシンかは、アプリケーションを利用するうえでは関係ありませんが、「ソフトウェアをパソコンにインストールするのはやめて、同様の機能が使えるサービスに移行しよう」といった文脈で使われるようになっています。
●クラウドが内包する2つの層
パートナーにサーバー能力を提供するAmazon
それでは、クラウドコンピューティングの具体的な事例を見ていきましょう。先駆者として知られるのは、書籍を中心としたオンラインストアを展開する米Amazon.com(以下Amazon)です。
普通のオンラインストアはスタッフが本を売ろうと(紹介しようと)しますが、Amazonには早い段階から「顧客に商品を売ってもらう」という発想がありました。商品ページで表示される「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のようなレコメンド機能が充実しているのは、Amazonの大きな特徴の1つです。
また、ユーザーのサイトやブログで商品を紹介してもらい、Amazonで商品が売れたら売上の一部を紹介者に還元するアフィリエイトプログラム「Amazonアソシエイト」を、アフィリエイトがブームになるずっと前の1996年から開始しています。
ユーザーが作成する商品紹介サイトとの協力をさらに進めるため、同社は2002年に「Amazon Web Services」(以下AWS)という開発者向けサービスを開始します。AWSはAmazonのサーバー・プラットフォームをユーザーに提供し、商品検索機能などを利用した高度な商品紹介サイトを作ることを支援します。
AWSは現在、コンピューターの処理能力を提供する「Amazon Elastic Compute Cloud(EC2)」、ストレージサービス「Amazon Simple Storage Service(S3)」、データベースサービス「Amazon SimpleDB」といったサービス群で構成されており、Amazonの販売増につながるものだけでなく、さまざまなWebサービスのバックエンド、さらには個人的な用途のストレージやデータベースとして利用できる形で有料提供されています。
▼Amazon Web Services
http://aws.amazon.com/
豊富なアプリケーションをそろえるGoogle
Amazonに負けないサーバー群を抱えているであろうGoogleは、Webアプリケーション開発者向けにサーバーリソースや各種機能を提供するサービス「Google App Engine」を、2008年4月から開始しています。
2009年1月現在ではプレビューリリースの段階で、利用できるのは1万ユーザー限定、ストレージの容量などにも制限がある状態です。将来的には有料の拡張プランも予定されています。
サーバーサービスの提供はかなりAmazonに出遅れた感がありますが、これはAmazonのように自社の利益に大きく貢献するビジネスモデルではないためと考えられます。
一方で、エンドユーザー向けアプリケーションの提供はもっと早くから行っています。1GB(公開当初)という大容量で業界を驚かせたメールサービス「Gmail」は2004年にスタート。その後もWebの地図サービスの常識をくつがえす滑らかなスクロールを実現した「Googleマップ」、ブラウザーから使えるオフィススイート「Googleドキュメント」など、多数のアプリケーションを公開しています。
また、企業や教育機関、グループでの利用向けには、これらのアプリケーションをセットにした「Google Apps」も提供中です。
▼Google App Engine
http://code.google.com/intl/ja/appengine/
「SaaS」で実績を積むセールスフォース
セールスフォース・ドットコム(以下セールスフォース)は、SaaS型CRM(顧客管理)アプリケーション「Salesforce CRM」を提供する会社として1999年に米国で創業されました。現在は世界の5万社以上、110万ユーザーに利用されています。
「SaaS(Software as a Service)」とは、従来ソフトウェアとして提供されていたアプリケーションを、Webを通じたサービスの形で提供することです。サービスならではの導入の速さと、各社で異なる業務形態に柔軟に対応できるカスタマイズ性の高さが、広い支持を集めています。
同社のサービスはSalesforce CRMというアプリケーションだけにとどまらず、ユーザーの必要に応じて独自のアプリケーションを開発できる基盤サービス(プラットフォーム)も公開。ユーザーが開発したアプリケーションをほかのユーザーに対して配布・販売できるシステム「AppExchange」と、プラットフォーム「Force.com」を提供しています。プラットフォームをサービスとして提供するForce.comは、SaaSに対して「PaaS(Platform as a Service)」と呼ばれます。
日本国内の導入事例としては、2007年に郵便局が導入し、全国約2万4,000拠点で約6万5,000人が利用しているという、世界的に見ても最大級のものがあります。ほかにも、みずほ情報総研、楽天フィナンシャルソリューション、ニフティといった多くの企業が導入し、業務の効率化、情報共有の促進といった効果を上げています。
同社は現在「クラウドコンピューティングの推進・普及」をミッションとして活動しており、Force.com上で利用できる多数のアプリケーションによって、CRMだけでなくさまざまな用途に対応したサービスを提供しています。
▼Salesforce CRM
http://www.salesforce.com/jp/products/
「Windows Azure」で追撃するマイクロソフト
マイクロソフトといえば、WindowsおよびMicrosoft Officeで世界的なシェアを誇るIT業界の巨人です。しかしここ数年は、どうも勢いがないように見られることが多くなっていました。
その理由はWebサービス化ーークラウド化への遅れです。2005年後半から起きた「Web 2.0」ブームのころは、Googleなどを称賛する文脈で「定期的にソフトウェアをバージョンアップし、それを売るという商売はなくなる」といった論調が目立ちました。そのようなビジネスの最大手であるマイクロソフトは「滅ぶべき旧時代の企業の代表」のように扱われたことすらあります。
実際には、「Hotmail」や「Windows Messenger」など、以前から多くのオンラインサービスを手がけています。しかし、先進的なユーザーに受けがよく、広告によってWebサービスを強力に収益化していくGoogleに対し、マイクロソフトのサービスは大きな話題になることはなく、収益手段も弱かったため、WindowsやMicrosoft Officeをはじめとしたパッケージソフトの「おまけ」的なものと見られがちでした。
そのような折、同社は2005年10月ごろからオンラインサービスへの注力を始め、「Windows Live」と「Microsoft Office Live」というサービスを発表します。今のところ大きなブレイクスルーを起こすには至っていませんが、マイクロソフトがクラウドコンピューティングの実現に向けて大きくかじを切ったことは間違いありません。
そして2008年10月、クラウドコンピューティングに明確にターゲットを合わせたクラウド向けOS「Windows Azure」や次世代のMicrosoft Officeを発表(実際のサービス提供開始は今後になります)。また、エンドユーザー向けではWindows Liveを中心としたWindowsブランドの新しい戦略も進めています。
必要なカードがそろったところで、マイクロソフトがクラウド時代にどれだけの存在感を発揮できるかは、これからが勝負という段階になっています。マイクロソフトの取り組みについては、第3章で詳しく紹介します。
▼Azure Service Platform
http://www.microsoft.com/azure/
[ヒント]クラウドコンピューティングを提供するその他の企業
IBM、HP、デル、オラクル、サン・マイクロシステムズなど、企業向けにサーバーを提供する多くの事業者は、クラウドをうたった製品をそろえています。一方、ヤフーなど個人向けサービスを提供する事業者は、それほど強くクラウドをプッシュしていません。これは現在「ク「クラウド」という言葉が、特に企業向けのサーバーで強い訴求力のある状態になっているためと考えられます。